どうも、入院中ブロガーのだいすけ(@apainidia)です!
ただいま爆速チャレンジ中です!人間は全員、僕を応援してください。
さて、今回は表現の自由の中での、解釈の固定の恐怖について話をしたいと思います。
なんのことかよくわからないと思いますが、先日ツイッターで見たちょっとした
炎上が、僕の心に響いたので記事にしておきたかった。
興味がある方は是非読んでみてください!
なんのこと?
つい数日前、RADWIMPSが新曲を出しましたね。
そのシングルのカップリング曲、HINOMARUの歌詞が物議を醸しました。
まぁ、詳しくはググってもらえればわかると思うのですが、簡単に言うと、
歌詞の中で表現されている言葉に、愛国心を感じる人もいれば軍歌に感じる人もいて、
軍歌に感じた人が不快な思いをした、ということで野田さんが謝罪ツイートを
しました。
Sincerely. pic.twitter.com/NAc6PvQanX
— Yojiro Noda (@YojiNoda1) June 11, 2018
このツイートに対するリプライの中には、
「解釈の自由を固定するな」
という発言も見受けられたことに対して、
あぁなるほどな〜と。
むちゃくちゃ共感できたわけです。
「まさかそんな解釈(軍歌)をする人がいるとは思いませんでした。もしそう思ってしまった人がいるなら、ごめんなさい。」
これを要約すると、
「これは軍歌ではありません。」
ということになりますよね。
野田さんは謝るべきだったのか
僕は、謝るべきではなかったのでは、と思います。
この問題だけでなく、表現の自由には必ず解釈の自由が伴います。
解釈の自由は、表現者が自由であるからこそ成り立つのであり、
そこで表現者が解釈を固定してしまうと、更なるヘイトを生んでしまう可能性があるわけです。
踊らされている、といえばそうかもしれません。
が、僕もブロガーとして自分の考えや意見を表現する人間として、
こういった解釈の自由を潰してしまう可能性が自分にもある
ということを理解した上で記事を執筆する必要がありますね。
まぁ、それでも僕みたいな個人ブロガーは尖った意見を出すべきだと思いますけどね。
それでこそ、みたいな部分はあると思いますし。
最後に
普段、こういった野次リプってあんまり心に響かないのですが
今回の指摘はぐさっときたので思わず記事にしました。
「アンチにいちいち反応する」
とかではなく、心に留めておかないといけないと思ったので
記事にした次第です。
もし、共感できる人がいればツイッターでも構わないので意見を頂けると幸いです。
以上です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。だいすけ(@apainidia)でした!