彼が来たのはいつだっただろうか
彼は優しい声で僕に声を掛けてくれた
「僕はね、内臓がもうダメになっているんだよ」
生きることを諦めない彼に、僕は涙が止まらなかった…ー
1.大部屋に移動してきた彼
彼が来たのはいつだっただろうか
僕が入院している消化器内科は繰り返し入院する人が多い。
そんな人たちは決まって声が明るい。入院が日常のルーティンになっているのだ。
もちろんそれとは反対に突発的に入院する人も多い。今同じ部屋で隣にいる患者もきっとそうなのだろう。
いつ治るのか
いつ退院できるのか
なぜこうなってしまったのか
そんなことを、医師に繰り返し聞くのだ。不安なのだろう。気持ちは分かる。僕も初めはそうだった。
ふと、1年前を思い出す。
肝臓移植の話をされ、僕は嫌ですと伝えたあの時のことを。
きっと、入院に馴れていない人はあのときの僕と同じ気持ちなんだろう。
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]雨だとこの部屋も暗いな…[/lnvoicel]
そんなことを朝から考えながら、僕は自分のベッドで休んでいた。
ふと、新しい人が部屋に来た。
彼が来たのはいつだっただろうか
確か僕が退院する10日ほど前に同じ部屋に来たような気がする。
ただ覚えているのは、彼は少しだけ他の患者とは声が違っていたこと
僕と同じ、自分の病気を受け入れていてもう馴れている人の声だ
ただ、それでも彼の声は特別だった。低く響く、落ち着いた優しい声
なんの病気なんだろうか
そんなことを考えているといつの間にか食事が運ばれてきた。そんな、入院中のよくある1日だった
何もわからないまま
大部屋になったからと言って、みんなが仲良くなるわけではない
会話と言えば、ほとんどはすれ違った時の挨拶ぐらいだ。
全てのカーテンが閉じられていて、全員が自分の小さいプライベート空間を作る
僕は検査数値が良くなってくると、病室ではなくラウンジで日中を過ごすことが多かった。
ラウンジには大きなテレビがあり、ベッドにいるのが嫌で比較的元気な患者や見舞いに来る人たちは決まってここで過ごす。
そして、食事の時間になるとみんなは部屋に戻る。
そんな毎日だ。
ただ、彼は違った。
彼は食事の時間にラウンジにいた。
みんなが食事の時間にラウンジでテレビを見て、消灯時間の後にベッドに備え付けらたテレビを見ていた彼。
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"](食事を取れないんだ。夜もテレビを見ているし、眠れないのかな…)[/lnvoicel]
それぐらいに思っていた。食事を取れない患者は少なくない。点滴で栄養をとるのだ。
その日は気の毒だな。ぐらいにしか思えなかった。
次の日の朝
部屋で休んでいると、看護師の会話する彼の声が聞こえる
「今日の夕食は抜いてもらってもいいですか?」
それを聞いた僕は驚いた。彼は食事を取れないのではなく、取らなかった。
何かを買って食べているような音もしない。ただ、彼はラウンジでいつも缶コーヒーを飲んでいるだけだった。
看護師や医師との会話で聞こえてくる薬の名前も、聞いたことのないような名前
それと、透析の話が聞こえてくる。
透析とは、血液中にある不純物を体外で綺麗にしてから体内に戻すこと。
おそらく、腎臓が悪いのだろう。
入院で消化器には少しだけ詳しくなっていたのでそれだけは分かったが、それ以外僕は何もわからないままだった。
彼の退院前夜
不思議な人だった。
食事を取らないず、優しく響く落ち着いた声の持ち主
僕は彼に対して、こんなイメージを持ったままだった。
彼とは特に話すこともなく、すれ違うこともないので挨拶をすることもない日々が続いた。
数日後
医師「指の調子もいいですね。予定通り、明日退院でいいでしょう」
彼と医師の会話が聞こえてくる。どうやら彼は明日退院のようだ。
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]あぁ、あの人は明日退院なのか。少し残念だな[/lnvoicel]
他の患者と違った優しい雰囲気を持つ彼がいなくなることに、僕は少し寂しさを感じた。
その日、夕食を食べ終えた僕はテレビを見ようとラウンジに向かった。
彼はいつも通り、食事の時間帯なのでラウンジにいた。
ただ、その日はテレビを見ているわけでもなく、窓の外を見ていた。
僕はタイミングを見て声を掛けたいと思って、なんとなく近くに座ってみる。
少しして、彼は僕に声をかけてくれた。
「君はいつぐらいから入院しているの?」
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]もうすぐで2ヶ月になります。[/lnvoicel]
「そっか。長いね。どうして?」
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]肝臓が悪くなってしまって。あなたは?[/lnvoicel]
「あぁ、僕はね、腎臓が…内臓がダメになっているんだよ」
「だから、この点滴で全部栄養を摂ってるんだ」
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]先生との会話を聞いてしまったんですが、透析もされてるんですか?[/lnvoicel]
「うん、そうだね。腎臓が死んでるから」
彼は教えてくれた。
今回の入院は、指の怪我がなかなか治らず、その原因に腎臓の影響が疑われたからということ
20年前に、3ヶ月間意識不明で集中治療室にいた経験があること
意識がないまま、成功しても生存率が1%もない手術をしたこと
手術は成功したが、そのかわりにたくさんのものを食べられなくなってしまったこと
彼が優しい声で教えてくれる話を、僕はまともに聴くことができなかった。
去年、肝臓移植の話を受けた時に僕は精神が崩壊していたことを思い返していた。
誰の言うことも聞かず、泣きながら検査に連れて行かされる。面会を全て拒否し、なぜこうまでして生きないといけないのか、と日々感じていたあの頃のことを思い返していた。
でも、彼は僕なんかよりよっぽど辛かったはずなのだ。
それでも彼は手術をしてから20年間、必死に生きてきた。
生きることを諦めなかったのだ。
耐えきれず、話を逸らすように聞いてみた。
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]意識不明って、本当に何も覚えてないんですか?[/lnvoicel]
「うん。気が付いたら3ヶ月経っていたよ。でも、意識不明の間に覚えていることが1つあるんだ」
「花畑があってね」
「花畑には、家族がいるんだ」
「家族に近づくと、そこでふっと目が覚めた」
「その時、一生懸命手を握っている妻がいて、それが忘れられないんだ」
言葉を失った僕は、そんなことってあるんですね。とだけ口にしたと思う。
…彼は少し笑っていた。きっと、いろんな人にこの話をして馴れているのだろう。
それから30分ぐらいだろうか。30分の間、たくさん話をした。
僕と歳の近い娘がいること
自営業をしていること
時々ラーメンや肉が食べたくなること
そして、病気は焦らずにゆっくりと治していけばいいということ
話を終えて、少し沈黙が続いた後、彼は部屋に戻った。
「それじゃあ、おやすみ」
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]おやすみなさい[/lnvoicel]
僕はその日の夜、生まれて体験したことのない悲しい興奮でほとんど眠ることができなかった。
彼が退院する日
翌朝、僕は少しそわそわしていた。
退院の時にちゃんと挨拶をしよう
挨拶は、どんなことを話そう
そうだ、握手をしてもらおう
そんなことを考えていると、彼が退院の準備を整え終わっていた。どうやらもう帰るらしい。
お大事にしてくださいと看護師に言われて部屋を出ていく彼。
そんな彼が、部屋を出る前に挨拶に来てくれた。
「これ、あげる」
そう言って、手渡してくれたのは、僕がいつも飲んでいたジュースと、新しいテレビカード。
「これでサッカーでも見て」
僕はすぐにお礼を言って
[lnvoicel icon="https://apainidia.com/wp-content/uploads/2018/06/IMG_0029-e1528805215689.jpg" name="だいすけ"]握手してもらってもいいですか?[/lnvoicel]
そう言うと、彼が手を握ってくれた。僕は両手で彼の右手をしっかりと握り、頭を下げた。
そうして、彼は退院した。
その日、僕はいつも通りラウンジでテレビを見ていた。
そして夜になり、病院が暗くなる。
消灯時間になり、昨日までと違った、テレビの明かりが無い部屋で僕はなぜか寂しさがこみ上げてきた。
生きることを諦めない彼を思い出して、僕は涙が止まらなかった。
最後に
入院中にはたくさんの方と話す機会があります。
彼も、そんなたくさんの中の1人かもしれません。
それでも、僕に取っては大切な1人です。
彼のおかげで、生きることの大切さを、難しさを改めて痛感できたのです。
どうしてもこの話を残しておきたかったので記事にしました。
ジュースは飲みましたが、テレビカードは使っていません。宝物にするつもりです。
そして、少し落ち着いたら彼にお礼を伝えに行くつもりです。
読んでいただき、ありがとうございました。僕の入院エピソードは、これでおしまいです。