※この記事は前回の続きです。前回はこちら。
回復
医師「あくまで極論ですが、備えておいてもいいと思います。脅すようですみません」
家族の血液型を聞かれて、そのあとは姉と少し話をした。
他愛もない話、地元の話。話をすると、少し気が晴れた。
姉の表情も明るい。きっと姉も同じことを考えていたと思う。
昼頃きた姉は、母さんには軽い感じで伝えておくから安心して、と言って夜に帰った。
肝臓移植か…嫌だなぁと思いつつ、どうにかできないものかとネットで自分の病気について調べる。
肝障害は誰にでもなる可能性があるから検索すれば情報はたくさん出てくるが、どれも大した情報ではない。
どこかからコピペしてきたんだろう。そんな記事だらけで飽き飽きもしていた。
その後は毎日ネットでいい治療がないか調べる日が続いた。
調べても同じような記事ばかりで飽き飽きしていたが、
そんなとき、とある薬がヒットした。
調べると、どうやら国内の薬ではないらしい。
有名なサプリらしく、ドイツでは医療に使われている薬のようだ。
ドイツといえば、医療の最先端を行く国。
国内では認可されていないため病院で処方してもらうことはできないが、そんなものは個人輸入でどうにかなる。
これだ!と思った僕は、この薬のことをすぐに医師と相談した。
すると、医師もこの薬の有用性に目をつけて、薬剤師と使用方法について海外の文献を読み漁ってくれたという。
医師「飲みましょう。ただし、悪化したらすぐに止めます」
という約束で、薬を個人輸入した。
約10日後、薬が届く。
早速薬を飲んで、次の日、検査の数値を見る。
驚いた。上昇し続けていた数値が、少し下がっていたのだ。
期待半分気休め半分だったので、正直ここまでとは思わなかった。
それから毎日飲みつづけ、数値はどんどん良くなっていた。
食事はほとんど取れないし、毎日熱もあるから辛いけど
それでも数値がどんどん良くなっていった。
熱も微熱に下がり、黄疸も少しずつ消えていっていた。
この薬を病院で飲み続けたのは60日ほどだったと思う。
こうして僕の3ヶ月弱の入院生活が終わった。
肝臓移植の話が出た時はもう終わったと思ったが、薬を見つけられて良かった。諦めないで良かった。
復職して待っていたのは
退院後、会社の産業医との面談を数回行って、約3週間後に復職することになった。
人事によると、事業部は同じだがチームが変わるとのことだった。
入院前に僕を心配してくれていたメンバーが率いているチームで、1からやり直しだ。
そのメンバーとはもともと大きな案件を二人でやったこともあって仲が良かったし、そのチームは知り合いがたくさんいたので復職すること自体は苦ではなかった。
荒れた事業部 壊れたチーム
復職してからはしばらくは、かなり厳しい就業制限を設けられた。
残業は絶対にNG、1分でも超えると翌日怒られる。結構怒られる。
何日も徹夜をする社員を許すのに、ちょっと分が悪くなるとすぐに守りに入る。
僕はこの会社のやり方がとても嫌いだった。
ただ、気持ちに余裕はできる。
気持ちに余裕があるからこそ、色々な人の話を聞くことができた。
話を聞くと、どうやら大きな変化があったらしい。
プロデューサーが変わっていたのだ。
ここでいうプロデューサーとは、事業の統括責任者…普通の企業でいう本部長みたいなものだと思ってくれていい。
どうやら、この人になってから今までよりも環境が悪化しているらしいのだ。
(プロデューサーが変わったことについては、僕のポジションだとあんまり影響ないし、いいか…)
ぐらいにしか思っていなかったが、どうやらそれは間違いだった。僕にも影響はあった。
人が次々と辞めていく。すごいスピードで辞めていく。
まともにマネジメントができないと、人はすごいスピードでどんどん辞めていく。
毎週誰かが辞めるような、そして毎月事業の柱とも言えるような人もどんどん辞めていく。
そして、その穴埋めで人を雇うが、育成コストには結構な時間が掛かるため頭数だけ多くて、仕事ができる人がいない。事業部全体がそんなチームになった。
再建
もう僕もこの会社にはある程度見切りを付けていたし、自分より仕事ができない人にとやかく言われたくないという思いでリーダー職になったものの、再建と称して特に頑張ったわけではない。
リーダーを目指して仕事をしている時は、淡々と仕事をこなして次の査定で望むポジションと金額が出なければ辞めよう。ただそれ考えていた。
リーダーになるのには思ったより時間が掛からなかった。査定よりもずいぶん前にリーダーになれて、少し拍子抜けしたぐらいだ。
ただ、リーダー職は今までの仕事とちがって楽しかった。メンバーのマネジメントをして、メンバーが同じ方向を向けるようにチームの雰囲気を作る。
プロデューサーと定期面談をしていたメンバーのマネジメントも僕が一部担当するようになった。
それからはそのメンバー達には定期面談が僕になったことをかなり感謝されたから、きっとプロデューサーのマネジメント能力の無さは筋金入りなんだろうなぁと思った。
そんな感謝されるようなこともあり、僕はリーダー職にやりがいを感じていた。
チームの雰囲気は最初は良くなかった。人がどんどん辞めていくような会社で良い雰囲気を出せと言われても無理な話だ。
ただ、少しずつ、少しずつではあるが成果が出ていた。
僕のチームだけ、本当に楽しそうに仕事をしていると各所から言われるようになるのだ。
営業課ではないのでチームの成果が直接数字に出るわけではないが、それでも明らかに僕のチームは雰囲気が良かった。
他のリーダーからもマネジメントの相談を受けることも多々あった。
もっと良くしてやろう。
メンバー全員でこの状況を乗り切ろう。
誰も辞めさせたりしない。きっと良くなる。
そう思って、ただ毎日頑張った。人に尽くすことで得られる幸福を知ると、仕事はやりがいを感じる。そうすると、仕事はどんどん楽しくなるんと感じた。
その間に上司から嫌われたり、会社のやり方に不満があったり…辛いこともたくさんあったが、それよりもメンバーと一緒に仕事をしている楽しさの方が強かった。
続く